剱岳 点の記 vol 1
2009年 09月 11日
高い青空・・虫の声・・・秋を感じます
こんにちは根岸です。
HPトップの最新情報に12日13日の現場見学会の山梨日日新聞に広告掲載が11日(金)本日とありました
が、誠にすみません・・・目を皿のようにして探していただいた方m(--)m本当にすみません
広告掲載は12日(土)明日の間違いでしたm(--)m
明日、明後日見学会へのご来場スタッフ一同心よりお待ちしていますm(--)m
さて話は変わります・・・私、休暇をいただき憧れの山・・・剣岳に行ってきました
今年上映された・・・・剱岳点の記・・・・の舞台になった山です
ここで、その映画のちょこっと解説
明治39年、参謀本部陸地測量部の測量手柴崎芳太郎(しばさきよしたろう)は、五万分の一地形図作成のために三等三角点網(もう)を完成すべく、北アルプス剱岳への登頂と三角点埋設(まいせつ)の至上命令を受ける。当時の剱岳は前人未踏の信仰の山であった。ほぼ同時期には日本山岳会(当時は山岳会と呼称)が結成され、剱岳初登頂を虎視眈々とねらっていた。
柴崎は、かって剱岳に挑んだが登頂できなかった先輩の古田盛作(ふるたせいさく)を訪ねる。古田は信頼できる案内人として、宇治長次郎(う じ ちょうじろう)を紹介した。そして柴崎は現地へと向い、宇治長次郎と登頂路を探すが、なかなか見つからない。そんな中、不思議な行者(ぎょうじゃ)との出会い、山岳会の小島烏水(こじまうすい)との出会いがある・・・。
悪天候や地元の反感、山岳会との葛藤など様々な困難と闘いながら、柴崎測量隊は山頂をめざして進んでいく。そして、難行苦行の末、剱岳山頂に至るが、そこで柴崎らが見たものは・・・。
※「点の記」とは - 国家基準点(三角点、水準点)ごとに、点名、所在地、設置年月日、選点者、観測者、そこに至る順路と略図等を記載したもの。
ここからシリーズで(長すぎないかい?)山紀行を紹介したいと思います
朝いや夜中2時起床・・・昨日準備したザックと持ち物等再確認・・・神棚に手を合わせ3時出発
中央自動車道を一路、長野豊科IC目指し車を走らせる・・・・・車の中には・・河島英吾・サザンオールスターズ・久保田利伸・セルジオメンデスのマシュケナダが流れる(一貫性がないな)
途中トイレ休憩で諏訪SAによる・・・・・いまだクリスマスの雰囲気が残る連絡通路
この時間帯はやはり人が少ない・・・・寒い ブル!
一路出発点の扇沢駅(トロリーバス)を目指し車を走らせる・・・・車の中は河島英吾(時代遅れ)
山を雲が・・・・
青空と光が見えてきた・・・いいかも
5時30分扇沢駅に到着・・・・外は寒い!・・・駐車場にはいろんな都道府県からの車でいっぱいです
室蘭・・九州方面・・日本全国から来ているようです始発7時30分までしばし休憩・・・
ここから重さ18KGのザックを背負って・・・剱岳を目指して波乱万丈の旅が始まる・・・フェ・フェックション!ズル!
つづく・・・・・・長いかな?(ご要望により短くもなります)・・・m(--)m
山に興味がある方・・・見学会でお話しましょう・・・・ブログより先にネタバラシ(お笑いか?)します。お待ちして
います
by mimasu-eigyou
| 2009-09-11 17:11
| 岳人の日記